「わかりあえないことから」コミニュケーションは「わかりあえない」から出発する

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職場のパワーハラスメントやメンタル疾患やがこの数年話題になっています。
どちらも元をたどっていくと職場での「人間関係」→「コミニュケーション」のあり方が問題なっている場合がほとんどです。
この「わかりあえないことから」は、劇作家・演出家の平田オリザさんが学校教育で「演劇」授業を行うことを通じて、演劇と教育の現場から日本人が抱えているコミニュケーションの問題点を指摘した本です。

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企業が求める「コミニュケーション能力」はダブルバインド

例えば、『採用では異なる文化、価値観を持った人に対しても、きちんと自分の主張を伝えることができる。文化的な背景の違う人の意見も、その背景を理解し、説得・納得し妥協点を見いだすことができる「異文化理解能力」を重要視し、入社後は社員教員や職務の中で無意識に「上司の意図に察して機敏に行動する」「会議では空気を読んで反対意見は言わない」「輪を乱さない」といった日本社会の従来型コミニュケーション能力を要求する。
そして、要求している側が矛盾というダブルバインド(二重拘束)に気がついていない・・・』

この状況では、仕事のやり取りでモヤモヤが溜まりストレスとなります。
昨今問題視されているパワーハラスメント(からのメンタル疾患)もこのような構造から引き起こされるというのも納得です。

日本社会には「対話」というが概念がなかった

「対話」とはAとBという異なる2つの論理が擦り合わさり、Cという新しい概念を生み出すこと。
「対話的な精神」とは異なる価値観を持った人と出会うことで、自分の意見が変わっていくことを潔しとする態度のこと。

『「等質の」価値観や生活習慣を持った者同士の集合体で構成され、わかりあう文化、察し合う文化を培ってきた日本社会には「対話」という概念がほとんどなかった。
一方、ヨーロッパは「異なる」宗教や価値観が、陸続きに隣り合わせとなっていることから、説明し合う文化(対話型文化)となった。』
これは文化や風土の違いなのでどちらが、善い悪い、優劣もありません。しかし、圧倒的多数派(国際社会)は「説明し合う文化」なのです。『わたしたちはこれまで培ってきた「わかりあう、察し合う文化」に対する誇りを維持したまま、他者に対して言葉で説明する能力「対話的な精神」を身に着けていく、コミニュケーションのダブルバインドを受け入れて行かなければいけない。』
夏目漱石もそのダブルバインドゆえにロンドンでノイローゼになったという・・・かつては知識階級だけが味わった苦悩を、いまは日本人全員等しく苦悩だと意識しないまま背負わなければいけない状況。それならば、このダブルバインドという状況を認識して向き合うことから始めるしかないだろうと書かれています。
言語やコミニュケーションの変化は強い保守性を伴うため、一朝一夕に変わるというものではなく、時間がかかるもの・・・企業の求めるコミニュケーションのダブルバインドもここから発生しているとすれば、わたしたちはそこをなんとか乗り越えていかなければなりません。

みんなちがってたいへんだ

いままで、遠くで誰かが決めていることをなんとなく理解する能力、「価値観を一つにする方向のコミニュケーション能力」が求められていました。しかし、今は日本でも価値観やライフスタイルの多様化が起き、同時に日本文化を前提とした人々だけが日本に住んでいるのではありません。
これからはさらに『バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく能力』が求められています。

「コンテクスト」=「その人がどんなつもりで、その言葉をつかっているか」
『同じ日本語を話していても、私達は一人ひとり、違う言葉をはなしている。
コミニュケーション不全は、文化的な背景が異なるコンテクストの「違い」よりも、差異が見えにくく(存在に気が付かない)コンテクストの「ズレ」から起こりやすい。これを回避するには「ズレ」の認識が出発点で、対話することで、時間をかけてまたは一定期間内に「コンテクスト」のすり合わせを行うこと。つまり「わかりあえないこと」を前提にわかりあえる部分(共有性)を探っていくこと』とあります。

この本を読むまで、私の中でコミニュケーションといえば、「(心から)わかりあう」というものでした。しかし、コミニュケーションとは「わかりあえない」ところから出発してわかりあえない中で少しでも共有できる部分を見つけて、それを広げていくこと「みんなちがって、たいへんだ」(でも、すり合わせることをあきらめない)というものだと「なんでわかってもらえないんだ」というストレスは軽減されると思います。

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大安吉日
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